嫌いな人からでも、何かを学び取ろうとする姿勢。
こんにちは、たっくんです。
今日は戒めを込めてこんなテーマを。
怒られた頃の記憶。
子どもの頃、叱られたり、怒られたりしたときに、どんなことを思いましたか?
「うざい」、「嫌だ」、「面倒くさい」。また、「なんで自分は怒られたんだろう?」と考えられる聡い子どもだったかもしれません。
素直に自分が悪かったところを認めたり、頑と意地を張って認めなかったり。
怒られることは嫌いだし、怒る人も嫌いなのが普通です。
そのときに、自分の心に湧き上がる気持ちは一体どんなものだったでしょうか。
怒りや不快感といった感情だけかもしれませんし、なぜかと思考するのかもしれないし、はたまた、相手の気持ちを詮索するかもしれません。
シャットアウトはもったいない!
怒られるというのは、極端な例でしたが、ネガティブな感情を持つと人の視野は狭くなりますし、拒否しがちになります。
怒られたり、嫌いな人の声を聞くだけで、「嫌だ!」とシャットアウトしがちですが、もったいないなと。
嫌いな人であっても、賛成できる意見や、面白いものの見方がありますし、それを受け入れることと、人格の好き嫌いは別物です。
特に、怒られることには原因があるので、それをなんで?と考えられると、怒られても有意義だなぁと思います笑。
褒められると嬉しい気持ちが先行して、なかなか原因を見つめられないですから。
ネガティブなことが起きてこそ、自分を見つめ直そうと思えるんだなぁと感じています。
皆さんはどう思いますか?