戦争の対義語は『暮らし』なのかもしれない。【この世界の片隅に】
こんにちは、たっくんです。
遅ればせながら、この世界の片隅にをこの週末にかけてじっくりと鑑賞しました。(Amazonで100円レンタルだったもので・・・)
戦争に関するアニメーション映画で、あらゆる世代から共感を寄せ、ロングランとなったのは、『火垂るの墓』以来なんじゃないかなと思いまして、感じたことを書いていきます。
戦争の対義語は『暮らし』。
戦争の対義語といえば平和だと思いますが、戦争の経験のない僕らにとって平和とは、かなり抽象度の高い言葉だと思います。
正直言って、平和って分かりにくいんです。だからきっと、僕たちの前でイデオロギー的な平和を語ったり、デモで「平和が大事!」と叫んでも、響かないんだと思います。
平和の必要性を説く前に、平和を現代風に翻訳することって大事なことだと思うんです。
本作は、『暮らし』に徹底的にフォーカスしたことで僕たちに、平和の尊さを感じさせたのだと思います。
主人公のすずが、物資が不足する中で献立を工夫したり、自然や風景を、『スケッチ』で切り取ることでその美しさを強調させたり。
そんな感受性の高いすずの『暮らし』を根こそぎ奪われた時、僕らははじめて、戦争と平和を認識できるんじゃないかなと。
全世代が共感できる土壌がつくられていた。
戦争経験の僕らが主人公の『すず』や当時の人々に共感できた理由は、3.11の震災があったからではないでしょうか。
戦争と震災・・・?と思われるかもしれませんが、『暮らし』が奪われるという感覚は同じであり、この時代を生きるすべての人に刻まれた共通意識だと思うんです。
原爆が落とされてから、日本の人々の意識は変わりました。平和を最も貴ぶ国民へと変わったはずです。
同じように、津波と地震と原発事故を経た僕らの意識も変わっているはずです。言葉にしなくても、何んとなく感じられるものだと思いますが、それこそ、『暮らし』を、生き方を見つめ直すことなんじゃないかと。
激動の時代を生き抜いた少女と、僕たちは遠い存在でなく、むしろ重なり合えるほどに近いのかもしれません。
だからこそ、こんなにも日常の一つ一つに、僕らは魅入られ、怒り、悲しむのではないでしょうか。
皆さんはどう思いますか?