ぽえぽえぽえむ。

脳汁生活。

時代の変化に、老いて枯れないように考えるブログです。

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嫉妬の先にある美しい感情に何度でも出会いたい。

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生きていると、ふと、誰かに嫉妬の目を向けることがある。

 

TwitterFacebookのタイムラインから流れる、

「新サービスローンチしました!」

「会社辞めてフリーになります!」

「素敵な彼氏ができました!」

「子どもが生まれました!」

 

といった、諸々の出来事は本来ならば、祝うべき喜ばしいことであるはず。

それでも、イラついたり、非難したくなったり、自分の状況を憂いたりするのが人間の性。

 

『近い』と感じる傲慢な感情

 

主観的感覚でしかないのですが、そもそも嫉妬は、自分の等しい、もしくは、下と見ている(はずの)人間に対して生まれる感情ではないのかなと思うのです。

 

その『近さ』は人によって違うのかもしれませんが、

スキルやルックスのレベル、年齢、性別、社会的ステータスなどがそれに当たるのかなと思います。

 

僕なら、同世代の学生(若者)なのに、起業していたり、お金もないのにフリーになっていたりしている若者に嫉妬心に近い感情を抱いていました。

「年も変わらないのに、なんで・・・」といった気持ちです。

でもそれは大変に身勝手な感情であったなぁと内省しています。

僕は、彼や彼女のことを同じ『若さ』という括りの中で見ていて、その括りの中で勝手に競わせていたからです。

 

彼や彼女は、僕の身勝手で矮小な評価軸なんかの中で闘っているわけじゃない。

嫉妬は、言うなれば身勝手な自分の価値観の押し付けです。

 

 

違う道だってあるじゃないか

 

それでも、随分と嫉妬心に近い気持ちを抱くことは減ったなあと思っています。

もちろん、今でも全く感じないということはないのですが、頻度も量も、10代の頃に比べれば、ほぼ無くなったように感じています。

一時期、起業を志していたこともあり、リスクをいとわず、チャレンジしていく姿や、自分のやる事業に疑いの心を持たずに(そう見えていたんです。)Mac bookの画面に食らいついているその姿に、嫉妬を燃やしていました。

その当時は相当に苦しい思いをして、「やってやりたい!」という気持ちと、「何か違うよな・・・」という気持ちを抱えていました。

 

僕は自分の考えていた事業に命をかけきれていなかったし、何より、自分でこの事業を本当にやりたいのかと疑っていたんです。

 

たぶん、もっと違うところに自分の目指すものはあると。

そう思い、起業の道を進むのを辞めました。当時の仲間たちから見れば、

「弱い奴だ」とか「根性なし」という風に思われていたかもしれません。

でも、納得感を感じずに、起業することが目的となることは避けたいなと思ったんです。

 

この時は就活もせず、起業しようとしていたので、その選択はまさに背水の陣でした。でも、この、違いを知り、受け止めるという決断はとてもよかったと思いました。

 

諦めて、淡々と。

 

その後、心理学の学びの場を提供する団体の運営に携わることになり、アメリカの学習性無力感の研究から発したポジティブ心理学を学ぶことになります。

 

そこで、人や社会のあり方を、自分自身のあり方を見つめ直す時間を1年くらいとることができました。今思えば非常にラッキーだったなと。

紆余曲折ありましたが、僕は書くことが好きだと思い至り、今こうして自分の思うがままにブログやら詩を書いているのです。

 

ただ、書くこと自体は誰でもできることであり、そのある意味で当たり前のシビアな世界の中で、どう生きていくかということは考えないといけないなと。

書き手はごまんといるわけです。その中で、特段プロでもない自分が書く意味。自分が見いだせる価値。

 

ここでも、『違い』は大きな力を発揮するなぁと思っていて。

例えば、ブロガーのスタイルを一つとってもそうで。

専門知識をもとに粛々とアフィリエイトの記事をしたためるのか。

最近の若手ブロガーのようにガシガシと露出をしながら、サロンなどを通してコミュニティを創っていくのか。

ただ日記的に、自分の思ったこと、感じたことをゆるりと書いていくのか。

はたまたガソリンのように炎上記事を量産するのか・・・

 

この中に、僕の姿はありません。

細かいところを言えば、コミュニティのようなものは創りたいなと思いますが、正直、義務教育的スタイルの延長のようなスタイルも、ガツガツ前に出ていくスタイルも合わないなと(笑)。

 

だから、このブロガーを目指すとか、ライターさんのようになりたいとか辞めようと思っています。

 

そんなことはさっさと諦めて、自分のスタイルを築き上げるべく、淡々と書き続けるだけなんです。なれないものにはなれないし。合わないものは合わないし。

それが、いずれ誰にも邪魔のされない、自分になっていくのかなと。

 

 

違いを先鋭化させていく。

 

そんないい意味での諦めは清々しく、誰かを羨ましいと思うような気持ちも減っていくんです。

自分と他人との違いを明確にすればするほど、他人がどうこうよりも、自分の向かうべき道にフォーカスを当てられるし、違うからこそ、「あなたにはあなたの役割があるよね」と、素直に応援できるようになるのかなと。

 

それこそ書くって、色んな書くがありますから。

 


まだまだ言語化はできないのですが、僕の書き味はたぶん、僕の独特の見方とかに出ているのかなあと・・・う~ん。

そのために、ブログだけでなく詩も絵本も、近々は小説も書いていこうと思っていて、その中で、自分ならではの『書き』を見つけていくのかなと。

今はまだ実験段階で、雑記的に色んな書き方やテーマで書いています。

 

書き方の違いはかなり出るもので、ネットの海の中でも、「あ。この文章は○○が書いたものだな」ってのが分かりますし、認知されるようになりたいものです。

まだ東京で消耗してるの?

隠居系男子

こんな方たちみたいにね。

 

こういう風に、らしさが出てくるのが、違いの先鋭化の最たる例なのかなと。

 

 

北極星は常に見えているように

 

それでも、憧れのような感情は持っていていいのかなと。

嫉妬ではなく、進むべき方向性を示してくれるような北極星のような存在。

僕の場合、ブログであれば、先ほどの鳥居さんであり、詩や絵本といった創作であれば、美しいものなんですよ。(抽象的でごめん(笑)。)

 

特に本当に美しい言葉の列を見た時は、嫉妬どころかずっと浸っていられるくらいに、脳が喜ぶんです。

 



 

自分の好きをはっきりとさせておくことも、違いの先鋭化につながると思いますし、その方向性は好きだからこそ、合っているはずなので、その北極星のような人たちの姿を追い続けることは大切なのかなあと。

そしてそんな人たちをたくさん見つけて、美しいと思う日々を重ねていきたい。

 

そして、いつか憧れから、同志へ変われるよう、淡々と言葉を磨いていくのです。

 

 

ぴょいぴょーい!