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脳汁生活。

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広告の未来を考えず、コピーライターを目指すのは愚かだと思う。

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こんにちは。うさぎごけです。

 

これを読んでくれてる方は、「ああ、コピーライター(笑)がまた何か言ってる」とか、「引退宣言か!?」とか、「おお、なんか面白そう」とか、「広告オワコン説またきたww」とか思うかもしれません。

 

僕は残念ながら、そんな期待に応えられません。

 

だって、僕はコピーライターでもないし、広告代理店で働いているわけでもないし、広告がオワコンとも思ってないからです。

 

僕は昼は編集者として、夜は物書きとして生きています。はい。夜の仕事の方が好きですよ♡

 

(コピーもたまに書くけどね。)

 

 

 

最近、今更ながらですが、コピーライターに漠然とした憧れを感じるようになっていました。
言葉の面白さにハマったというのが大きいですが。

 

それで、転職しようかなあと考えて、とりあえずコピーライター系の求人を色々と見てみて思いました・・・

「僕のような一般人が想像するコピーの仕事とはたぶん違うな」と。

 

 

広告の本質を考える

困ったときは原点に立ち返る

 

というのが僕のポリシーなので、そうしてみます。

 

そもそもなぜ、広告は存在するのかと。
(厳密に言えば、広告≠コピーだとは思いますが、まあ、その辺は緩くいきます。)

 

広告って、商品やサービスの販促のために使われるものですよね。

 

ただ、販促なり、多くの人に知ってもらうことがゴールではなくて、広告の究極のゴールは買ってもらうことですよね。

 

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クライアントの問題解決のために、広告を使うとか、なんとかありますけど、ぶっちゃけ売れりゃいいってことだと思うんですよ。

そのために、CMやったり、電車にポスターだのやったり、インフルエンサー的にSNSでとにかく拡散しまくると・・・

 

多くの人の目にとまれば、それだけ購買意欲のパイは増えるから、売上は伸びるだろうというロジックかな。

 

物量戦ですね。いわゆるマス広告ってやつ。

 

でもこのやり方が非常に非効率的だなあと最近みんな気づき始めてるのですよ!

 

 

マスから個人へのシフト

大抵の広告は数打ちゃ当たる戦法をとっていましたが、こーれがうまくいかなくなってきた。大変だ。

 

理由なんて、僕らの普段の生活を考えれば分かるんですよ。

 

①情報が増えすぎて、自分の興味のあるものしか処理しきれなくなった。

 

だから、CMとか見ても飛ばすし、スマホいじる。電車にいても、たいして面白そうな広告もないから、スマホいじるわけです。
ただでさえ、情報が多いのに、自分の興味の湧かないもの見てたって疲れるだけじゃないですか・・・

 

②価値観を合わせる時代から、価値観を尊重する時代になった。

 

昔は、みんながやってる・着てる・持っているモノがいい!的な風潮がありましたよね。
みんな同じよ~な感じ。
メディアが、「これがトレンド!ナウい!イケてる!」と言えば、それにピクミンみたいについていった。従うしかなかった。

 

いや、でも可哀そうだなと思います。だって、それしか情報の流入源がなかったから。


メディアしか、発信する個体がなかったわけですから、それしか知らないんですよ。だから、ある意味、その中から選び取るしかなかった。

 

でも、今は個人が勝手に情報発信できるようになったし、そのプラットフォームはどんどん増えてる。


自分の好きなファッションしているインスタグラマーをフォローすれば、ファッション雑誌買わなくてもいいじゃないすか・・・

 

情報を個々人が発信し、受信することで、多様な価値観が生まれて選べるようになったんです。

 

夏モテ♡みたいなコンセプトの服だって、掘り下げれば色々あるのに、昔は単一的な夏モテしかなかったんでしょ?
今は、色んな夏モテのスタイルがあって、それを選べるんです。

 

 

③自分で興味のあるものをカスタマイズできるようになった。

 

Twitterやインスタグラムのフォロワーという機能は、めちゃくちゃすげぇなと思います。

 

だって、自分の好きな人をフォローして、嫌な人はブロックすりゃいいんすから。

 

そうすれば、自分の興味関心に類する情報だけをピックできるようになる。

それが、いいのか悪いのかはここでは論じないですけど、僕らは無意識的に情報をスクリーニングしています。

 

マス的に発される広告の多くが、この段階で消え去っているのかな…と思うのですが。

 

 

それでも終わらない、血液としての広告。

実はこの記事を書いている途中、イケダハヤトさんの記事に出会いました。

 

 

 

 

そう。

 

広告のもう一つの機能であり、マス的広告というビジネスモデルがまだまだ有力であるという一つの理由がこれ。
僕らは、情報をこういったプラットフォームの中で、手に入れ、発信しているんですよね。

 

TwitterFacebook、インスタグラム…その収益源のほとんどが広告であるという事実。

 

勝手にジレンマを感じています…

 

 

広告の未来を見すえてみる。

僕自身、アフィリエイトの記事を書くし、広告に批判的なわけではないんです。

 

ただ、従来のマス的な広告のあり方は徐々になくなっていくのかな?という疑問を投げかけ、警鐘を鳴らしたいなと。

 

どんどん個人化が進んでゆく世界。イケダハヤトさんのような、プロブロガーの記事や、インスタグラマーの1枚のスナップのほうが、リアルだし、現実感がある。

 

僕らはきっと、個人を見たいのかなと。そこにあるストーリーやコンセプト、その人自身のあり方を見たいのかなと。

 

以前こんな記事を書きました。

 

 

僕らはきっと、どこまでいっても人が好きなんだなと。

 

画一的で無機質だけど、なんとなくキレイで109にあるような広告か、

 

雑多なネットの世界に埋もれて、なんとなーくぼんやりと眺めていたけれど、どこかに狂気を感じるようなものか。

 

若干趣旨がそれたかのように思いますが、広告は、本来はそのもの自身であると僕は思うので。

 

どれだけ透明度のある、リアルな、人の広告を作れるのか?
これこそがAIにもできない、広告人のこらからの仕事になるのかなと思いました。

 

広告は単なる販促や課題解決のツールではなく、それ自体がプロダクトなんだと思います。
大勢の人じゃなくてもいい。大切な思いを大切な人に届けられれば。

 

ぴょいぴょーい!