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ぽむぽむぽえむ。

こころをかいかする。

自分を受け入れて心を広くしよう。

心にすきまを作る

うさごけには、ある持論というか、仮説があります。
それは、心には広さがあるというものです。
・・・は?とか言わないで下さいね。だって、皆使うじゃないですか、余裕があって、寛容な人のことを、心が広いって。
結局は同じようなことを言うつもりなのですが、それならば、どうして心の広い人と、狭い人がいるんでしょうかね?

 

心のキャパシティ自体は、そんなに変わらないと思うんですよね、人は経験を重ねていくことで、そのキャパシティ、容量を増やしていくのだと思うんです。
よくあるじゃないですか・・・小さな頃は弟や妹に、お菓子を食べられただけで、むっかーとしていたのが、今となれば、我慢できるし、なんなら分けることができますよね。
例えがしょぼくてすいません。

 


生きていれば、色んな人と出会いますからね、色んなことを受け入れ、赦せるようになっていくものです。
心が傷ついても、抗体ができるんです。だから、ちょっとやそっとの傷では、びくともしなくなったりします。

 

それでも、どんな経験を積んだとしても、埋まらない1ピースがあります。埋まらないというか、それをしなければ、本当の意味で心の広さが手に入らないと思っているんです。
それは、自分を受け入れてあげるということです。

 

 

自己受容から全てが始まる。

心の形、をイメージしてみてください。ハートでも、球体でもいいでしょう。前にも書いた通り、心は膨張します。素材で言うと、ゴムみたいなものですかね。
僕は思うのですが、多くの人が、心の中に自分がいないなあと思っています。つまり、心から自分自身が離れているということですね。

自分を受け入れてあげるということは、心の中に自分がいるということになります。自分という存在は、人生で起こるあらゆる経験よりも大きいものだと思います。自分を心に入れてあげることで、心が大きく、広がるというイメージですね。
正確に言えば、それだけの広さを持っていなければ、他人を受け入れるのは不可能なんじゃないかと思っているんです。
自分を受け入れるだけの心の大きさがないのに、他人の存在が入るすきまなんてないでしょう。きっつきつでっせ。

 

ここでも、みんな大好きアドラーの、哲人さんの言葉を引きましょうか。

大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
(中略)

われわれは「わたし」という容れ物を捨てることもできないし、交換することも出来ない。しかし、大切なのは「与えられたものをどう使うか」です。「わたし」に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくことです。

(中略)

そこで私は、「肯定的なあきらめ」という言葉を使っています。

(中略)

「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。われわれは「なにが与えられているか」について、変えることはできません。しかし、「与えられたものをどう使うか」については、自分の力によって変えていくことができます。

 うーん。しびれますねぇ・・・まさに真理ですよね。
陳腐な感じになりますが、僕らは本当にオンリーワンなんですよね。僕らは僕らにしかなれないんですよ。
あなたがあなたを使ってあげなければ、誰があなたを使うんですか?
あなたは、もう持ってるんですよ、外に求めなくても、もう、欲しいものはあるんです。気付いていないだけで、それをうまく使えていないだけで。

誰かの言葉に惑わされて、自分を見失うのは辞めましょう。自分はダメって誰が決めたんですか?
他人の言葉に自分の人生を曲げられて悔しくないですか?

 

僕らはただ、僕らであればいいんです、それだけでいいんです。

 

名著中の名著です。人生のバイブルになり得る一冊でしょう。

 こちらは続編!こっちも必読ですよ!

 

ぴょいぴょーい!

 

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